樂篆工房(らくてんこうぼう)

漢字の歴史

漢字の発明者「殷王朝」と普及者「周王朝」

漢字が生まれたのは、今から3300年前(約紀元前1300年)の中国、「殷王朝」によって発明された甲骨文字です。その漢字は、今とは全く異なる使い方をされていました。
「殷」では、穀物の豊穣を願う雨乞いから祭や戦の時期まで、あらゆることを文字を刻んだ亀の甲羅や獣の骨のヒビ割れで占いました。これが象形文字を起源とする「甲骨文字」で、神との対話のために生まれたのが漢字だったのです。

漢字のはじまりと革命 紀元前17世紀頃〜紀元前1046年 殷(いん) 神との交信 紀元前1046年〜紀元前256年 他部族との意思疎通 表意文字

漢字の革命

殷から周への王朝交代を生んだ古代最大の天下分け目の激戦で、「殷」との戦いに勝利した新しい王朝「周」は、神との交信のためだった漢字を、他部族との契約に使うという発想の大転換をしました。話し言葉の違う部族でも見れば意味を理解し、意思疎通ができる表意文字である漢字は、瞬く間に浸透していきました。

漢字の変化 紀元前778年〜紀元前206年 秦(しん) 統一された国家の公式な証明手段 小篆(しょうてん) 事務処理の実用化 隷書(れいしょ) 6世紀〜10世紀 南北朝(なんぽくちょう)〜隋唐(ずいとう) 早さと正確さの追求 楷書

変化を続ける漢字

紀元前221年、中国統一を成し遂げた秦は、それぞれの地方で独自に発達してしまっていた漢字を、小篆という字体に統一しました。漢字の一角を筆一往復分の幅に統一、文字の大きさも均等にし、また秦が「統一された法治国家」であることを示すために、国の公式な証明手段や官吏の官印に用いられました。
このような国の意図とは裏腹に、小篆はすぐにその形を崩し始めます。法治国家である秦では、下層の役人が現場で事務処理を行うことが多くなりました。その際、複雑な形をした装飾的な小篆は極めて書きにくいものであり、やがて書体の単純化・簡素化を生み、実用的な隷書が生まれます。そして6世紀〜10世紀、南北朝から隋唐時代にかけて楷書が標準の書体となりました。漢字はこのようにたくさんの変化を遂げてきたのです。

日本と漢字 〜日本の漢字の歴史は1600年〜

中国から漢字が伝来する以前に日本には固有の文字はありませんでした。人々は神話や伝説などを全部口伝えで伝えていました。日本列島において漢字が本格的に使用されるようになるのは4世紀末から5世紀初め頃で、漢字に出会って約1600年の歴史です。
単に伝達、文字表記の手段としての側面だけでなく、思想的・政治社会的な影響など、すなわち、言語・思想・社会などさまざまな分野、それぞれの時代の人々を通して日本人は漢字とつきあってきました。
漢字の語源は私たちの生活の身近なものから成り立っており、その語源を心と体で理解することは、言葉の世界を豊かに彩り、独自の文化や精神性を受け継ぎ、感性を磨く力ともなります。

漢字の一例 働(はたらく) 凧(たこ) 峠(とうげ) 畑(はたけ) 榊(さかき) 鱈(たら) 鯏(あさり) 鰯(いわし)

日本独自の漢字

中国から伝来した漢字ですが、身近なところでは「働」や「峠」、畑」など日本独自の漢字もあり、これを国字といいます。
何事も口伝えで伝え、八百万(ヤオヨロズ)の神を信じる大和民族は、言葉にも「言霊(コトダマ)」という霊力があると考えていたため、漢字という初めて見る文字を前にして、自分たちのこれまでの「言霊」を失うかもしれない、と恐れました。
私たちの祖先はなんとか日本語の「言霊」を生かしたまま、漢字で書き表そうと苦闘を続けました。そのための最初の工夫が、漢字の音のみをとって、意味を無視してしまうという知恵でした。個々の漢字が表す意味を、既に存在していた日本語と関連づけることであり、この漢字の読み方が現在の訓読みの起源となっていると言われています。特に魚の名前に多く見られます。

万葉仮名の一例 安(あ) 以(い) 宇(う) 衣(え) 於(お) 加(か) 幾(き) 久(く) 計(け) 己(こ)

万葉仮名

字で日本語の「音」を表記するため万葉仮名が作られました。万葉仮名とは、「万葉集」で使われたことで有名な仮名の一種で、漢字の音や訓を使って表現するものです。「安」→「あ」、「加」→「か」、「左」→「さ」のように、漢字の元々の意味とは無関係の使われ方をすることが多いです。
やがて、これを崩して書きやすくするために、平安時代初期に平仮名が、漢字の一部を元に片仮名が作られたと言われています。平安中期は男女差別の時代であり女性は漢字を学ぶことを禁じられたため、草仮名を簡略化した別名女手と言われる平仮名が生まれて和歌が流行し、かな書道の黄金期を迎えました。